師弟。メンターを見つけ弟子となる。

師弟。

最近この言葉が特に耳に残るので、私なりの師弟について書き記してみる。

私自身、師弟という言葉に幼い頃からなじみがある。が、それが何を指すのかは理解していなかった。

ボンヤリと、師弟とは、この人についていきたいと思った時、その人が師となり、自分は弟子となる。そう言ったものなのかと思っていたが、ここ最近、そうではないことに気づいた。



師とは、その人のことではなく、その人の思想や哲学のこと。

弟子は、その人の思想や哲学に感銘を受け、生涯、師と仰ぐのだ。




ゆえ、師が毎年変わるというのは不自然。ただ、増えることはあるかもしれない。より真意に迫るものに出会うことはある。師とする思想や哲学が見つかれば、そこから芋づる式にさらに真意に迫ったそれをキャッチできるようになる。

そう考えると、師というのは、そうそう簡単には見つからないものである。

また、人の思想や哲学ではなく、どんな家に住み、いくら稼ぎといったような外側を見ている限り、師は見つからない。
だからこそ、師が見つかったのであれば、どこまでもその師の思想と哲学を学びきると決め、常に、あの人ならどう考えるかを意識し行動しなくては意味がない。

そうしない限り、その思想や哲学は、自分の中に入ってこないからだ。



師は、あなたがよりらしく生きる行動へと導く思想や哲学を持つ人のこと。

だから、弟子もまた、頭の中で完結させるようでは、師の思想や哲学をインストールしたとは言えない。その人の本や言葉を読んだだけだは師弟ではない。行動してはじめて、師弟の道を歩み始めたといえる。


師を見つけるということは、弟子の人生ををはじめるということでもある。

師弟の人生とは、寸分の迷いなく、弟子として生きていく覚悟を決められたものだけが体験できる人生である。

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